2008-02-17 Sun
うーん…。面白いのかな?これは。野崎歓による訳者あとがきのアツさから、「文学的事件」?だったことは察せられるんですが…。現代人の孤独と幸福の不可能性が描かれてるといいながら、作中人物は最終的には男にとって都合のいい女の出現によって現世的に幸せになってるし、その女がまた都合よく死んでくれて(合計3人、恋人の女が自殺したのには苦笑した)それによって男はまた苦悩できるという次第で…。しかも「妊娠小説」でもあるし。
作者はニューエイジやカウンターカルチャーによほど煮え湯を飲まされたのか、ルサンチマンたらたらに、えんえんとその世界の描写が続く部分は、ちょっと読むのがしんどかった。でも3部に分かれた小説の、第1部(主に少年時代の話)はとても面白かったけど。
フランス的な小説ではない、と訳者あとがきには書かれていたけど、こういう人が出てくるというのはフランスの土壌ならではなのではないかしら。まあ、読んでてイヤーな気分になる本ではあるけど、思想としては嫌いじゃないです。
それと、どーでもいいことですが、本作には主人公が二人いて、一人は悲しみを背負った天才科学者、もう一人はろくでなしでモテない変態男。このどちらもが作者の分身のようなのですが、悲しき天才科学者のほうが、ミシェルという、作者と同じ名前をつけられてるんですよね…。逆ならまだ可愛げがあると思うんですけど。
作者はニューエイジやカウンターカルチャーによほど煮え湯を飲まされたのか、ルサンチマンたらたらに、えんえんとその世界の描写が続く部分は、ちょっと読むのがしんどかった。でも3部に分かれた小説の、第1部(主に少年時代の話)はとても面白かったけど。
フランス的な小説ではない、と訳者あとがきには書かれていたけど、こういう人が出てくるというのはフランスの土壌ならではなのではないかしら。まあ、読んでてイヤーな気分になる本ではあるけど、思想としては嫌いじゃないです。
それと、どーでもいいことですが、本作には主人公が二人いて、一人は悲しみを背負った天才科学者、もう一人はろくでなしでモテない変態男。このどちらもが作者の分身のようなのですが、悲しき天才科学者のほうが、ミシェルという、作者と同じ名前をつけられてるんですよね…。逆ならまだ可愛げがあると思うんですけど。
本・雑誌
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2008-02-06 Wed
ヒラリー・クリントンを見てると何だか背筋がぞくっとくることがある。うまく言えないけど、胸が熱くなるような。昨日「ムーブ」という番組で中国の専門家の上村幸治氏がヒラリーをスカーレット・オハラに例えていて(ヒラリーの番記者をしていたことがあるらしい)、それでなるほどと思った。ヒラリーにはアメリカそのものを感じるんだ。あの強さ、不屈の精神、合理主義、ダイナミズム、カリスマ性。もちろんいいところばかりじゃないけれど(そもそもアメリカが好きなわけでもないけれど)、アメリカという国はやっぱりすごい、しばしば感動させられるところがある。そんなところがヒラリーに体現されているように見えるんだ。
民主党予備選挙の報道を見ていてまた感動する。なんで、女性と黒人やねん。どっちに決まったにせよ、共和党の白人のおっさんと対決するには不利だろうに、なんでここで女性と黒人の対決やねん。でもこうなるところがまたアメリカなのであって、アメリカの捨てたものではないところなんだろう。ブッシュが大統領になった時は(そいでもって再選された時は)つくづくアメリカという国には失望したけれど、必ずこういう揺り戻しがある。
上村さんも言っていたけど、一度ヒラリーに大統領をさせてみたい。オバマはまだ若いし未来もある。ここはひとつヒラリーに。ああ何でいっぺんに出てくるんだよ、と口惜しくなる。でもなんか、ヒラリーとオバマの対決を見ていてとてもまぶしく、これでどっちが勝ったとしても、そして結局共和党が勝とうとも、こういうのを見られただけでも良かったかもしれない。ええもん見せてもらった、と思うことにしよう。
引き比べて日本の政治の茶番なことよ…。はっきり言って韓国の政治のほうが、いくら汚職にまみれてようがまだ「生きて」いると思う。
民主党予備選挙の報道を見ていてまた感動する。なんで、女性と黒人やねん。どっちに決まったにせよ、共和党の白人のおっさんと対決するには不利だろうに、なんでここで女性と黒人の対決やねん。でもこうなるところがまたアメリカなのであって、アメリカの捨てたものではないところなんだろう。ブッシュが大統領になった時は(そいでもって再選された時は)つくづくアメリカという国には失望したけれど、必ずこういう揺り戻しがある。
上村さんも言っていたけど、一度ヒラリーに大統領をさせてみたい。オバマはまだ若いし未来もある。ここはひとつヒラリーに。ああ何でいっぺんに出てくるんだよ、と口惜しくなる。でもなんか、ヒラリーとオバマの対決を見ていてとてもまぶしく、これでどっちが勝ったとしても、そして結局共和党が勝とうとも、こういうのを見られただけでも良かったかもしれない。ええもん見せてもらった、と思うことにしよう。
引き比べて日本の政治の茶番なことよ…。はっきり言って韓国の政治のほうが、いくら汚職にまみれてようがまだ「生きて」いると思う。
雑記
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23:28:21 |
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2008-02-03 Sun
海外文学に詳しい友達もいないので、日本との事情の違いがわからない。日本では小説のジャンルは細かく分けられていて、純文学、エンタメ(中間小説ってのは最近はいわなくなったがこれも変な言葉だった)、SF、ミステリー、ファンタジー、ライトノベル…。SFやミステリーぐらいは海外でもわりとはっきり分かれてるかとは思うけど、純文学なんてものはあるんだろうか。ましてやライトノベルなんて…。肩書きも変なもので、「作家」と名乗っていいのは主に小説を書いたことのある人だけのようで、何となく物書きの中では格が高いようなイメージがある。「作家」と「ライター」は全く別物だし、またその上にいろんな冠をつけて、ノンフィクションライター、ミステリー作家、フリーライター、とかどんどん細分化する。英語ではこれもそれもみんな「ライター」で一緒なのだと何かで読んだときには、それでいいじゃん!と思ったものだ。
何が言いたいかというと、この本はもし日本で出ていたら、どのジャンルに入るんだろう?と思ったのです。純文学なのか、SFか、ミステリーか…。ものすごく強引な設定。しかし描写はたいへんに緊密かつ繊細。タネあかし的なものもはっきりしているしオチもある。ちょっとトンデモかといえるぐらいの設定は、日本でなら純文学でもSFでもなく、青年向けマンガでありそうだ。いや、一時期の村上龍あたりならこういう設定もありかも。仕上がりは全く別物になっただろうけど。
「『わたしを話さないで』は、いわばカズオ・イシグロ自身の頭のなかで醸造された奇怪な妄想をとことん膨らませ、持ち前の緻密な書きぶりを駆使して強引かつ精緻に最後まで書き切ったかのような迫力がある」と解説(柴田元幸という人)にあり、まさにその通りだと思う。ひとつの設定を装置として作り、その中で綿密に情景や人間関係を描き込んでいく。著者もこれは「メタファーだ」とはっきり言っているし、誰もが自分自身を重ねられるよう注意深く作ったと語っている。中身はぜんぜんSFじゃないのだ(いや、別にSFでもいいんだけどさ)。
すごく変わった小説ではあるけれど、一方で、教科書的な、お手本のような小説だとも思った。たくさんの伏線はきれいに引いてあり、あとでバッチリ回収される。そして効果的な小道具がそこここに(表紙デザインにもなっているカセットテープ、船、ロストコーナー等々)。構成はとても緻密に練られているけれど、それでいて文章は読みやすく引きずられるように先を読んでしまう。大学の創作コースなんかではこういうの訓練するのかしら、なんて思ったりする(大学院の創作コース出ているらしい)。もしかしたらそのへんが、ちょっと物足りない人もいるかもしれないと思うのは考えすぎかな。
日本人はどこかで、理性を手放すことをよしとするところがあると思う。本音と建て前なんて言い方するけど、それは本音がいかに好きかということの裏返しだろう。小説においても感情や何やかやに押し流されたり、溢れ出したり、もんどり打ったりする情景が好まれる気がする。あるいは逆に極端にイメージ先行だったり、ぼんやりしてたりするのをよしとする感性。そういう部分が全くない、全てが統率されて、透徹した理性に貫かれている小説を、もしかしたら物足りないと思う人がいてもおかしくないよなあ、と思うのだ。まあそういう意味でカズオ・イシグロが自分にないものを村上春樹に見て評価したりするのかしら、というのは独り言だけど。
それと、これは翻訳についてなのだけど、この翻訳者のこだわりなのか、女性の話し言葉に「〜だわ」だの「〜なの」だのといった女性役割語が、たぶん一つもない。つねづね私はこれらの、一般には全く使われていないであろう女言葉が不自然だと思っていたので、これは読みやすかった。ただなぜか、男言葉の「〜だぜ」はあるというのが不思議なところではあるけれど。
あと、面白いのは、これだけ綿密にいろいろ書き込んでいるのに、主要人物のルックスの描写がほとんどないことで、施設の先生たちや周辺人物の描写はあるけれど、主人公たちはどんな顔をしてどんな背格好をして、美人なのかどうなのか、ということはよくわからない。もちろん表情やなんかの記述はこまかくあるけれど、どれも見た目ではなくて、心の動きを覗かせるような描写になっている。だから読んでいても、主人公たちの顔が目に浮かぶようだ、っていうのはあんまりない。もしかしたら、そのせいでかえって周囲の情景が浮き立って見えるのかもしれない。そして何となくもやがかかったようなミステリアスな雰囲気も。小説には人物描写(単に見た目の)ってなくてはならないものだと思っていたので、ああこれでも小説って成り立つんだ、なんて思った。個人的にはだけど。
とにかく15年もかかって書いたというだけあって、単純にテクニカルな意味だけでもすごいと思う。もう何というか、練られ方が。
子供時代へのノスタルジア、友情、恋愛、性など、あまり私の興味のないものが主軸では描かれているし、やはり設定のあり得なさにはひっかかりつつ読み進めたけれど、そういいながらも涙、涙でした。特にラストシーンはしみじみと哀しく、今思い出しても涙が出る。ほんとに、うまい小説。
しかし表紙のカセットテープ、グッドデザインだとは思うけど、1950年代のテープがこんなんのはずがないよー。
何が言いたいかというと、この本はもし日本で出ていたら、どのジャンルに入るんだろう?と思ったのです。純文学なのか、SFか、ミステリーか…。ものすごく強引な設定。しかし描写はたいへんに緊密かつ繊細。タネあかし的なものもはっきりしているしオチもある。ちょっとトンデモかといえるぐらいの設定は、日本でなら純文学でもSFでもなく、青年向けマンガでありそうだ。いや、一時期の村上龍あたりならこういう設定もありかも。仕上がりは全く別物になっただろうけど。
「『わたしを話さないで』は、いわばカズオ・イシグロ自身の頭のなかで醸造された奇怪な妄想をとことん膨らませ、持ち前の緻密な書きぶりを駆使して強引かつ精緻に最後まで書き切ったかのような迫力がある」と解説(柴田元幸という人)にあり、まさにその通りだと思う。ひとつの設定を装置として作り、その中で綿密に情景や人間関係を描き込んでいく。著者もこれは「メタファーだ」とはっきり言っているし、誰もが自分自身を重ねられるよう注意深く作ったと語っている。中身はぜんぜんSFじゃないのだ(いや、別にSFでもいいんだけどさ)。
すごく変わった小説ではあるけれど、一方で、教科書的な、お手本のような小説だとも思った。たくさんの伏線はきれいに引いてあり、あとでバッチリ回収される。そして効果的な小道具がそこここに(表紙デザインにもなっているカセットテープ、船、ロストコーナー等々)。構成はとても緻密に練られているけれど、それでいて文章は読みやすく引きずられるように先を読んでしまう。大学の創作コースなんかではこういうの訓練するのかしら、なんて思ったりする(大学院の創作コース出ているらしい)。もしかしたらそのへんが、ちょっと物足りない人もいるかもしれないと思うのは考えすぎかな。
日本人はどこかで、理性を手放すことをよしとするところがあると思う。本音と建て前なんて言い方するけど、それは本音がいかに好きかということの裏返しだろう。小説においても感情や何やかやに押し流されたり、溢れ出したり、もんどり打ったりする情景が好まれる気がする。あるいは逆に極端にイメージ先行だったり、ぼんやりしてたりするのをよしとする感性。そういう部分が全くない、全てが統率されて、透徹した理性に貫かれている小説を、もしかしたら物足りないと思う人がいてもおかしくないよなあ、と思うのだ。まあそういう意味でカズオ・イシグロが自分にないものを村上春樹に見て評価したりするのかしら、というのは独り言だけど。
それと、これは翻訳についてなのだけど、この翻訳者のこだわりなのか、女性の話し言葉に「〜だわ」だの「〜なの」だのといった女性役割語が、たぶん一つもない。つねづね私はこれらの、一般には全く使われていないであろう女言葉が不自然だと思っていたので、これは読みやすかった。ただなぜか、男言葉の「〜だぜ」はあるというのが不思議なところではあるけれど。
あと、面白いのは、これだけ綿密にいろいろ書き込んでいるのに、主要人物のルックスの描写がほとんどないことで、施設の先生たちや周辺人物の描写はあるけれど、主人公たちはどんな顔をしてどんな背格好をして、美人なのかどうなのか、ということはよくわからない。もちろん表情やなんかの記述はこまかくあるけれど、どれも見た目ではなくて、心の動きを覗かせるような描写になっている。だから読んでいても、主人公たちの顔が目に浮かぶようだ、っていうのはあんまりない。もしかしたら、そのせいでかえって周囲の情景が浮き立って見えるのかもしれない。そして何となくもやがかかったようなミステリアスな雰囲気も。小説には人物描写(単に見た目の)ってなくてはならないものだと思っていたので、ああこれでも小説って成り立つんだ、なんて思った。個人的にはだけど。
とにかく15年もかかって書いたというだけあって、単純にテクニカルな意味だけでもすごいと思う。もう何というか、練られ方が。
子供時代へのノスタルジア、友情、恋愛、性など、あまり私の興味のないものが主軸では描かれているし、やはり設定のあり得なさにはひっかかりつつ読み進めたけれど、そういいながらも涙、涙でした。特にラストシーンはしみじみと哀しく、今思い出しても涙が出る。ほんとに、うまい小説。
しかし表紙のカセットテープ、グッドデザインだとは思うけど、1950年代のテープがこんなんのはずがないよー。
本・雑誌
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